※ 写真 : なりわい交流館 | 「小田原かまぼこ通りまちづくりフォーラム」

[ 学生とつくる小田原かまぼこ通り]

小田原おでん

 

明治大学商学部藤井ゼミナールC班

(3年:川崎宏希、太田早紀、神田奈桜子 2年:皆川七海、工藤利昌、篠原健斗)

 

かまぼこ通りにある「小田原おでん」は、小田原の歴史と魅力のギュッと詰まったお店だ。小田原駅から徒歩で約20分、海沿いのかまぼこ通りに高級感のあるこのお店はある。

和風の閑静な佇まいの建物の中へ入ると、木材を基調としたカウンター席・テーブル席からなる居心地の良い空間が広がっている。

そもそも「小田原おでん」とは、小田原にあるかまぼこ屋13社が開発したおでんのことです。「小田原おでん」の発足は13年前、町おこしの一環として「小田原おでん会」が発足し、当時は年2回のイベントでおでんを食べることができた。また、このイベントでは「小田原おでんコンテスト」が行われ、一般の方々の公募により新たなおでん種が生まれてきた。「小田原おでん」は小田原にあるかまぼこ屋と周辺の地域住民により形作られていきました。

「小田原おでん」の店舗が生まれたのは10年前。これにより一年中「小田原おでん」が食べられるようになった。

小田原に数多くあるかまぼこ屋ですが、この地には練り物技術が450年前の室町時代から存在する。小田原の海でとれた魚を生かして、多くのかまぼこ屋が発展していった。また「小田原おでん」のメニューには、おでん種を開発したかまぼこ会社や一般の考案者の方々の名前が書かれている。そのため「小田原おでん」を食べることで小田原の長い歴史や文化、地域愛を感じることができる。おでん以外にもお寿司屋や小田原産の梅酒など、小田原を感じられるものとなっている。

現在はテレビなどでも宣伝を行っている他、小田原市外でも「小田原おでん」を販売しています。まだ誕生して13年ほどの「小田原おでん」ですが、「おでんと言えば小田原!」といった認識を広めるため、様々な活動を行っている。

最近ではおでんの屋台やひき売りもなくなり、コンビニのレジ横でしか見かけることがなくなってしまった。ぜひ「小田原おでん」に足を運び、こだわりのある上質なおでんを食べてはいかがだろうか。

 

 

 

 

かまぼこ通りのお店紹介(山田呉服店)

 

明治大学商学部藤井ゼミナールD班

(3年:高野哲也、山岡志帆、加藤沙織 2年:梶本久瑠実、駒木ゆうな、山田真由)

 

○山田呉服店の歴史

山田呉服店はかまぼこ通りの中心であるなりわい交流館のとなりに位置している呉服店である。山田呉服店は明治8年(1875年ごろ)から商売をし続けていて、明治大正昭和平成という4つの年号をまたいでいる。その年数なんと約140年。現在の店主である山田さんは4代目で御年80歳だという。現在の店主の山田さんの曽祖父が創業した。江戸時代小田原藩家老だった服部家出身だという。服部家は二宮金次郎との所縁があり、服部家が千数百両の負債を負った際、二宮金次郎こと二宮尊徳が財政改革を行い5年で返済できたという過去がある。また小田原宿には、4軒あった本陣のうち筆頭の清水金左衛門本陣という宿があった。清水金左衛門は小田原宿の中でも大きく、宿全体を掌握していて、明治天皇が5回宿泊したことのある場所で有名だといわれているが、明治時代に入り東京に移転した。山田さんの曽祖父はその清水金左衛門の跡地にお店を構えた。

○座右の銘

そんな伝統のある山田呉服店は商品に対して「本当にお客様の体格や顔立ち、性格に似合うものを提供すること」をお店の義務責任としている。そのため図柄をデザインする時もきちんと対象を観察し、決して柄を真似るということはしない。また、山田さんの座右の銘として「中庸は徳の至り」という言葉がある。これはおいしいものばかり食べていたら体を壊す。ほどほどが一番いいというようにお客さんが服を選ぶ際に自分の好きな色、好きな柄のみを選んだとき、もしかしたらそれがその人に本当に似合っていないかもしれない。だから、好きなものばかり選ぶのではなく、個人の体格、性格に合うもの作るようにしているという。

お店の中に置いてある反物は、柄はもちろん織り方もいろいろなものが置いてある。山田さんの一人一人あった商品を選ぶという姿勢は好評で地元の方からの信頼は厚い。小田原出身で海外などに嫁いだ方でも取り寄せる方もいるほどである。

 

山田呉服店では反物のほかに手拭いの販売も行っている。そこでは小田原をモチーフにしたものや、沖縄をモチーフにしたものなどさまざまな種類の手拭いが販売されている。

小田原に来た際には、城から歩いて5分もしないこの山田呉服店に寄って、都会にはない「なりわい」を感じるのもいいかもしれない。