※ 写真 : なりわい交流館 | 「小田原かまぼこ通りまちづくりフォーラム」

[ 学生とつくる小田原かまぼこ通り]

かまぼこ通りの昔・今

 

明治大学商学部藤井ゼミナールB班

(3年:村岸武、井口龍一、村井みどり 2年:斎藤恵介、松澤優久子、柳橋結華)

◎かまぼこ通りの昔

 かまぼこ通り周辺をはじめとする西湘地区は明治時代より定置網を用いた漁村として有名であった。当時は港もなく海岸沿いも写真のように浜辺になっていたため出船時は浜から船を押し出していた。そこで船をあまり出し入れしなくて済む定置網漁法を用いた漁村として発展した。

当時の早川地区の写真

小田原かまぼこ通り活性化委員会のHP(http://www.odawarakamabokodori.com/#!story/c1jdm)より

当時の早川地区の写真

小田原かまぼこ通り活性化委員会のHP(http://www.odawarakamabokodori.com/#!story/c1jdm)より

 時は流れ戦後。戦後復興のもとに各地で様々な復興が行われる。1947年小田原にある複数の組合からなる小田原漁港建設期成同盟が発足。これは小田原(早川)漁港の早期設置を請願する。地元の念願により1951年小田原漁港が完成。実はこの漁港、内部を掘り下げて築港するという珍しい漁港なのである。そして西湘地区は再び漁業で栄えることになる。

 

 漁業が栄えると当然住民も増えていく。当時の漁師たちは海から近いことと高波等の心配が少ない標高が比較的高いところに住みたいと思ったそうだ。そこで目を付けたのがかまぼこ通り周辺であった。そしてたくさんの漁師が定住し始め、それに付随して小田原で取れた魚を使ったかまぼこを売るお店ができ始めた。この場所にはかまぼこ屋がたくさんあるという理由から「かまぼこ通り」と呼ばれるようになった。全盛期には通りの両側に所狭しにかまぼこ屋が並んでいたという。

 しかし高度経済成長期に入ると人々の生活を豊かにするため様々な建設が行われだした。特に湘南バイパス建設は小田原の海に大きな打撃を与えた。そのうちの1つとして、建設によって大量の土砂が流出し海草の生育が不可能になったということが挙げられる。それに伴い、小田原の漁業も衰退し始めてしまいました。漁獲量減少で多くのかまぼこ製造業者が廃業に追い込まれ、現在は13の老舗かまぼこ屋のみが現存する。

◎かまぼこ通りの今

 現在のかまぼこ通りは「小田原かまぼこ通り活性化委員会」によって過去の活気を取り戻そうと改革が行われている。

  1. 各種イベントの開催

 かまぼこ通り活性化委員会では主に2つの大きなイベントを開催している。

1つめはかまぼこワッショイで毎年8月に開催。十数店の露店が軒を連ね、小田原の名産品である老舗店のかまぼこや海産物、お酒やおつまみなどを売っている。昨年度は明治大学の学生とコラボレーション下商品も販売された。また山車も出され大いに盛り上がります。

かまぼこワッショイの様子

 もう1つは100Mかまぼこです。昨年の2015年10月4日に初めて開催され文字通り100mもの長いかまぼこを作ろうと企画されたお祭りである。結果は87.95mと惜しくも100mには届かなかったが、見事ギネスに認定された。また日本テレビNews Everyなど各種メディアにもとりあげられ大変賑わいを見せた。

100Mかまぼこの様子

  1. 活性化のためのワークショップ開催

全国商店街支援センターの方を委員会にお招きしてかまぼこ通り活性化委員会のメンバーが理想の通りを思い描き理想マップ「未来希望図」を作り上げた。活性化に成功している他の商店街などを参考にし、活性化委員会として活性化へと力をひとつにした。

ワークショップの様子

完成した「未来希望図」

◎最後に

 かまぼこ通りにはたくさんの老舗かまぼこ店があるだけでなく、地域を活性化したいという強い意志を持った方々がたくさんいます。ぜひそのような伝統をこころで感じ、小田原の人々に触れ合えるおだわらかまぼこ通りを訪れてみてはいかがだろうか。